フジツボ


 フジツボをご存知でしょうか。海岸の岩に付着している富士山のような形をした甲殻類です。まあ、そのような知識は化学にはあまり関係ないのですけれども。

 ある学生は焦っていた。飲み会の予定が入っているので、1時間程度しか時間が残されていない。しかも、後処理で使おうと思っていた塩酸の瓶が空であることに気づいたからである。酸が必要と言っても、分液漏斗を使って洗浄に使うだけなので、濃度は正確でなくても良い。そこで、緊急措置として自前で塩酸を作ることにした。三角フラスコに塩を入れ、そこに硫酸を加えて、ガラス管を挿したゴム栓を取り付けて、瓶に入れた水に塩化水素のガスを誘導するという簡易的なものである。硫酸を加えて栓をしたところ、思っていた以上に激しく気体が発生し、その圧力に負けてゴム栓が弾け飛んだ。顔に飛沫が飛んできたのを感じた学生は慌てて流しのところに行って顔を洗った。器具や床に飛び散った硫酸の処理は研究室の面々に任せるより他は仕方がなかった。
 ようやく落ち着いてきた頃、トイレに行って手を洗った後に顔を上げると、鏡に映った自分の首筋にいっぱいフジツボのような白い水疱が現れていたのを見てギョッとした。顔に付いている酸は洗い落とすことができたが、流しでは首筋を十分に洗うことができなかったからである。そこで、取り敢えず運動部の部室のところに併設されているシャワー室に行ってよく洗った後、先生に頼んで病院を探してもらった。しかし、金曜日の夕方に時間外で診てもらえる病院はなく、時間だけが過ぎていくのみであった。シャワーで洗った効果があったのか、症状は徐々に消えていき、元通りになった頃に、病院探しも断念したのであった。後で先生から厳しく叱られたのは言うまでもない。

この実験ではいくつかの問題点があります。気体の発生する実験は体積が急激に膨張するので危険を伴うことを認識しておらず、容積が小さく圧力変化に脆弱な三角フラスコを用いていたこと。細いゴム管と瓶に溜めた水によって反応容器の中が加圧になってしまったこと。ドラフトで実験をしていながら、前の扉を開けたままであったことなどです。幸いなことにゴム栓が弾け飛んだから良かったのですが、ゴム栓がしっかり留まっていて三角フラスコが破裂したらと考えると恐ろしいですね。