かつてプロ野球に金田正一さんという不世出の大投手がいました。国鉄スワローズ(現 東京ヤクルトスワローズ)と読売ジャイアンツで活躍し、400勝を達成した時点で引退をしました。このように確かな目標がある人は、それを達成した時点でやめるという決断をしやすいものです。そんな方と比べるのは大変おこがましいのですが、「新・教科書にない実験マニュアル」の連載も400話に達しましたので、これを機に幕を閉じたいと思います。この連載を始めたのが1997年ですから、約30年に亘って続けてきました。前任の大学で267話、高知工科大学に着任した際にリスタートしてから400話ですから、計667話の駄文を世に垂れ流していたことになります。
私は昔から肝心なことは覚えていないのですが、しょうもないことに対する記憶力は抜群に良かったように思います。特に実験室で誰がどんな失敗をしたかなど、本人よりも詳細に覚えていて煙たがられたりしていました。そのような話は専門外の人にはつまらないかもしれませんが、研究室のコンパでは酒の肴にちょうど良く盛り上がる話題の1つでした。
今でこそ、ネットのない生活なんて想像することもできませんが、1997年当時はメールもまだそれほど普及しておらず、ましてやホームページを作ろうものなら「凄いな!URLを教えて!」と言われていました。当時、研究室の学生たちが自分たちのホームページを作るというブームがあり、そのうちの一人が立ち上げたのが「教科書にない実験マニュアル」でした。ただ、学生たちは飽きるのも早く、更新もしなくなり、そのままブームが下火になってしまいました。その学生たちが卒業した後に、私がタイトルだけ引き継いで連載を始めたのがきっかけです。
面白いページなら見てもらえるだろうと、実験の失敗談を書いたホームページを冗談半分で始めたのですが、その頃はそんなふざけたページが全くありませんでしたので、予想以上に反響がありました。今なら全く見向きもされないでしょうけれど。ホームページを見た他大学の学生から「面白かったです」という感想のメールを頂いたり、企業さんから「安全教育の資料に使わせてもらえないか」という連絡を頂いたりしました。また、とある大学の大学祭実行委員会からテクニカルアドバイザになって欲しいという珍妙な依頼も頂きましたが、こちらは丁重にお断りしました。
化学の研究実績だけでは、私の名前はそれほど知られなかったでしょうが、多くの方に知ってもらえるようになったのは、このホームページのお陰です。特にYahooのリンク先に登録されたことことが大きな転機になったと思います。当時はYahooによって審査され、優良ページと認められたものだけが登録されていました。従って、登録されたこと自体がステータスであり、お墨付きを頂いたことになります。その結果、多くの方に訪問して頂くようになりました。
「全ての化学者に安全を!」などと大それた使命感を持って取り組んでいた訳でもなく、中途半端な気持ちでダラダラと続けていただけでしたが、止めるタイミングを見失って30年が経過してしまった感があります。しかしその間には、講演に呼んで頂いたり書籍の出版をして頂いたりするなど、化学をやっているだけでは到底できない貴重な経験をさせて頂きました。最近では、フジテレビのADさんから「教場0」の化学監修をしてもらいたいと電話を頂き、ミーハーな私は二つ返事で了承しました。色々とネタを仕込んでおいたのですが、最終話ということもあり、事件が30分程度で解決してしまったので、全く採用されてはいなかったのは残念でした。ただ、周りの学生には「キムタクと共演した」と、少し誇張気味に話しています。「継続は力なり」と言いますが、冗談半分で始めたホームページの活動などに対して、日本工学教育協会から工学教育賞(功績部門)を頂いたことにより、少し報われかなと思っています。
ホームページを連載するにあたり、いくつか気をつけてきたことがあります。学生に勉強させようという気持ちはありませんでしたので、堅苦しくなく、気軽に読んでもらえるものにしました。それほど長い文章にはせず、関東の人だろうが外国人であろうが全ての登場人物には関西弁を喋ってもらいました。また、「嘘やろ」と思いながらも、ついつい手に取ってしまう東京スポーツ(関西では大阪スポーツ)の見出しを真似して、「中身はどんな話やろ?」と思わせるようなタイトルを付けるようにしました。ですので、作成に関わる時間配分はタイトルを考えるのに15分、文章を書くのに15分といったところでしょうか。そして何よりも、関西人の性としてオチをつけることは外せませんでした。ただ、私が死にかけた事故までは笑いにすることができたものの、研究室の後輩や他研究室の先輩の身に起きた事故までは書くことはとてもできませんでした。
一度訪れた人でもリピーターとして訪問してもらうためには、頻繁に更新することが必要ですので、2週間に1度のペースで新しい話題を公開してきました。ただ、暇な時は良いのですが、年度末のくそ忙しい時には、「面倒くさい」という気持ちの方が強く、殴り書きのような文章をアップして後悔したこともあります。そういう気持ちの波もあったものの、留学期間などを除いて休まず30年間公開してきました。ですので、このホームページを終了するのは少し寂しい気持ちもありますが、誰にも強制されていないとはいえ、2週間毎の義務から解放されて肩の荷が下りたという解放感の方が大きいのが正直なところです。
私が指導してきた卒業生にしてみれば、「自分の失敗がエピソードに書かれた」と思っているかもしれませんが、このような失敗は多くの人が同様に経験しているものなので心配は無用です。だからこそ、懐かしさも相まって、多くの人の共感を呼んで読んで頂いたのではないかと思います。これは「ちびまる子ちゃん」や「20世紀少年」などを懐かしいと思いながら読む感覚に似ているかもしれません。私自身は学生時代から「どないかなるやろ」と見切り発車することが多く、「どないもならん」失敗を数多く積み重ねてきた経験が豊富にありましたので、3分の1くらいのエピソードが私の懺悔集でした(大城先生、小松先生ごめんなさい)。
「専門家とはあらゆる失敗を重ねてきた人のことである」というNiels Bohrの言葉がありますが、これを実践するとなると体がいくつあっても足りません。「人のふり見て我がふり直せ」の如く、このホームページを見た初心者や経験の浅い学生さんの失敗を1つでも減らせたのであれば嬉しい限りです。
長年(“ながとし”ではありません)に亘りご愛読して頂きまして、誠に有難うございました。